ジェイコム問題は「みずほ証券の事件」ではなく東証の問題
J-COM株の空売り問題、解決したみたいで・・・
この問題については、こちらが解説として一番簡潔にまとまっているように思います。
ぐっちー氏「溶かしてしまう・・・」
証券取引は自由かつ公正であるべきで、自由かつ放任ではない、ということです。公正が脅かされる恐れのある時は自由が制限されるのは当然で、どうもこのあたりの根本的な理解が日本と違うということですね。日本では自由というと野放図に自由に競争するようなイメージですが、そこにフェアである、という魂を込めなければ意味がない
なんでそういう考え方になるの?という点については、こちらがヒントになるでしょう。
昔なら、岩波文庫で頭をぽんと叩いて「プロ倫を百遍読め」で終わり。
ちなみに、ぐっちー氏の「溶かしてしまう」の次のエントリー「民と官」も中々興味深いです。立場上・・・^^;
(昔読んだ「日本航空と民営化」というエントリーのコメント欄も興味深かったです*1)
それから、私は富士通この問題には関係ない、と思っています。
ようは、「仕様」をちゃんと提示していない発注者の問題でしょうから。
付記
ところで、いらんことを言った大臣がいるそうで、 怒っているブロガーがいます。私も、その怒りに同意します。
なんというか、そんな煙幕はってまで東証の問題と責任を誤魔化したいの?という気までしたのですが、ちょっと考えすぎでしょうか?
こんど、戦艦大和の映画があるそうですが、先の大戦で「一億特攻の先駈けとなれ」とか美学を語って行政化し、あまたの同胞に戦死を命令した軍事官僚たちは、その美学を自らに対して貫徹したでしょうかね。
日本人は、みなそのことを心の隅に思っているのではないでしょうか?日本国という存在が時に抜きがたい不信感を抱かれてしまうのは、そのひっかかりがとれないからではないかと思います。
*1 因みに、こんなコメントでした。 Kakaさんって、誰でしょうねぇ・・・
半官半民の会社の風景は (kaka) |
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2005-09-08 22:19:26 |
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>その他、食事の食材のランクもがた落ち、話ができるアテンダントさんがいなくなったと 半官半民だと「営業努力」というのは存在しても、「経営努力」はかぎりなく存在しなくなるでしょう。だから経営の問題点はすべて「営業努力」に還元されて悪いのはすべて「現場」になります。 "話のできるアテンダント"なんて、「客と無駄話をしてさぼっている」に違いないと非難しようと思えば簡単です。そして「そんなこと」しているより部内で偉くなるほうが正しい、という閉鎖世界でのイス取りゲーム(出世競争)への参加を勧められ、優秀な人材の人生の目線は眼前の客ではなく後方上のご機嫌へと変えられてしまいます。 しばらくすると一生懸命部内試験のための努力をして立身出世を人生の目的にする「意識の高い」管理職とその卵ばかりが組織に満ちて、「向上心がないから現場に取り残された程度の低いに違いない職員」を「ちゃんと(自分たちが決めた通り)やってないから事故が起こる」と責めて、それで義務を十全に果たしたとして、もっと上を目指してイス取りゲームに励む、という世界になります。 「中途半端な民営化」の害を防ぐためには、ある程度以上の「管理職」は、人間自体を入れ替えるしかないでしょう。昨日まで全き官吏だった人が急に経営者としてモノを考えることは不可能ですし、官と民の両方の悪いところばかり集約したミドル層が育つこと請け合いです。 |
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コメント
突然で恐縮ですがご招待です
「みずほ誤発注問題」にちなんだ雑学クイズを作りました。
お近くへおいでの節は、どうぞ拙宅へもお立ち寄り下さい
→ http://blog.q-q.jp/200512/article_70.html
(ご迷惑でしたら、お手数ですがコメント、TBの削除をお願いします)
投稿: 素町人@思案橋 | 2005年12月14日 (水) 11時47分