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2006年6月15日 (木)

光秀はなぜ本能寺を襲ったか

多分、落ちているものを拾っただけではないかぁ。
(勝海舟もそういう見方してなかったかなぁ・・・)

織田信長が勘違いしていたのではないでしょうか。佐久間とか、古い家臣のリストラを苛烈にやりながら、あんな無防備で動き回って・・・。

明智光秀という人は、背景に明智一族という基盤があり、アイディンティティもそっちにあった人でしょう。だから、「主殺し」なんて非難は、かれは面と向かって言われても「何、それ?」だったか「片腹いたい」だったかなのではないか、と思います。

あの時点で、織田家に忠義の義務がある封建的家臣たちは柴田勝家と北陸に閉じ込められているわけで、後は信長が任命した裸一貫成り上がりの司令官に率いられた傭兵軍団ばかりでしょう。持ち主の信長を討てば組織としてすべて瓦解する。一方自分には岩盤的な支持母体がある。討って戦国状態を再現すれば、近隣中小領主たちは最終的に自分に帰順する筈。そう判断したとしても、そう狂った見方でもないでしょう。天下は丸めたものの勝ちですし、明智は大名の盟主になれれば、別に天下なんかどうでもよかったでしょうし。

明智光秀が読み誤った点は、敵の毛利とすら取引できる秀吉の非官僚的な性格と組織力と、京・大阪に数多の宣教師がいて彼らが中小領主たちに少なからぬ精神的影響力をもっており、彼らから倫理的な非難を受けることの影響を軽く考えたことではないでしょうか。

明智光秀の三日天下の成功と瓦解の理由は、彼が古風で正統的な武家であって、流行モノの力を知らなすぎたことではないか、と思います。

とか、ここを読んだ後ふと思ったので備忘録がわりに。

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コメント

はじめまして。「寝言@時の最果て」を運営しておりますHacheと申します。トラックバックを送っていただいてから、御挨拶を申し上げるのが、遅くなってしまい、お詫び申し上げます。北九州市には、就職の関係で10年ほど前に参りました。残念ながら、最終段階で不採用になりましたが。

「多分、落ちているものを拾っただけではないかぁ。(勝海舟もそういう見方してなかったかなぁ)」という点については、勝海舟『氷川清話』(江藤淳・松浦玲編、講談社学術文庫、2000年)に「また、明智左馬之助といふ男は、実にえらい人物で、本能寺の変の時、流石の光秀もいくらか遅疑逡巡するところがあって、腹心の者ニ、三を集めて評議した。すると左馬之助は、『評議も何もない、明日すぐにやるがよい』と言った。この一言で、光秀も直ちに決心にしたのだが、時の英雄信長が、光秀にやられたのも、ただこの決断の力だ」(319頁)とあります。海舟の戦国時代の話もも江戸時代の軍記物に依拠している部分が多いので、そのまま鵜呑みにはできませんが、落ちているものを拾ったというほど(非常に醒めた見方だなあと感心しましたが)甘い話ではないと思います。

長くなりましたが、今後も、よろしくお願い申し上げます。

投稿: Hache | 2006年6月25日 (日) 00時12分

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