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2006年6月14日 (水)

「上品で美しい国家」をようやく読み終わる

上品で美しい国家」をようやく読み終わりました。

うーん、微妙・・・。
日下公人さんの言論って、かつてはバランサーとしてよかったかもしれませんが、この時代にはどうかなぁ・・・、日本人を鼓舞するよりも自大にさせるのでは?と危惧します。

たまたま偶然ですが、高坂正尭氏の「不思議の日米関係史」と山本七平氏の「危機の日本人」と三つ巴ごっちゃでちゃんぽんな読み方をするというでたらめをすることになったのが、私にはむしろ幸いした気がします。

日本と日本人が数多くのゲームにおいて優秀なプレーヤーであることは間違いないと思いますが、ゲーム、特に"パワーのゲーム"においてのアーキテクチャーとしての席が十分に用意されているとは思いませんし、その面で世の面倒事を担うという国内コンセンサスもないでしょう。 ついでに一度ゲーム盤をひっくり返したことで貼られた禁治産者のレッテルが綺麗に消えているとも思えませんし、それが消えては困る者もいるし、さりとてそういう相手とも付き合いは必要なわけで、そういうややこしい世界に生き続ける根気が続くのか?という心配もあります。

また、プレーヤーとしての優秀さの源泉が日本人が歴史や伝統で培ってきた「美意識」にあるとしたら、そういうあやふやなものをどう保持・育成していくか、という問題もあるかと。日々の生活というものは移ろい変わるものです。たとえば日々使う技術や道具というものもかわります。それは当然生活の内容も変えることになります。その時、意識は変わらないでしょうか?

昔、開国に反対した幕府の人間の中には、「武器が変われば陣立ても変えざるを得ない。ついには祖法を守れない」と反対した人がいるそうですが、誠に正しい認識だと思います。ただし、反対して変えなかったら、それでも自分たちを守れるのか、という一番大事な問題を無視している意味のない正しさでもあった、と同時に思いますけど。

とか、めんどうなことを考え続けたついでに言っちゃうと、私、「移ろう意識の中で何を保守するのか」という問いにおいて、一番無意味に邪魔をする概念は、「武士道」と称されているものではないか?とか考えてます。
露骨な言い方をすれば、あれは明治になって武士という生き方が無くなってからつくった(そもそも江戸の武士とそれ以前の戦国までの武士も全く別の人々と言ってもいいのではないかなぁ)廃業者と隠居のメルヘンではないかなぁ・・・。だから、実際に生活してご飯食べる人間の規範にはならないし、規範のような気がするのは「気分」だけで、被れると碌なことにならないのではないか、とか考えます。

そんなことを考えたわけは、多分昨年三島由紀夫が流行ったような不発のようなブームがあったから、その最後について少し読んだりしたからでしょう。
正直いって、なんであんな乱臣賊子に成り下がり下痢腹を切らざるをえなかったのか、この人にしてこの病あるか、という寂しい感じにしか私には思えなかったのです。究極のミーイズムでしょ、天皇も国民も、自衛隊も、誰にも理解不能な自分の「理想」を体現させるための道具でしかなかったわけですから。
どこにも他人を存在させないなんて、気色が悪いのです。私にとっては。

とかなんとか、わき道に逸れましたが、私にとっては「上品で美しい国家」より併読した「不思議の日米関係史」の方が面白かったです。

でも、なんでですかねぇ。これ高坂正尭氏の遺稿です。逝去の間際まで朱を入れていたそうです。
もう二十年ほど前に買った「日本とアメリカ人ここが大違い」という本があるのですが、これは我妻洋氏のやはり遺稿でした。食道癌手術で声帯が麻痺して、声を失った後、二度とできない講演を行うつもりで書いた文章だったそうです。

日米という二国間の関係には、研究者をして死に際に言い残したくなるほどの脆弱さと、不思議な魅力があるのでしょうか。

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