「砲台」といっても高射砲では?
mojiko.comの魚住です。
門司ブログで面白い記事を読みました。
ここです。
うーん、青葉台に砲台ですか・・・。
その砲台がいつ稼動していたか、が元々この可能性を提起したblogを読んでも分からないのですか、全く無根拠に勝手な推理をすれば、対艦用途の砲台ではなくて、防空戦用の高射砲なのではないでしょうか?
麓の門司は、産業施設が集中している地であり、重要な海峡ですし、また青葉台公園の上の横穴は銅山と学生時代(下の大里高校卒業生です、私)聞いた気がします。対空砲・機銃の陣地があっても不思議ではないかなぁ、と思います。
こちらの陣地想像図を見るとなおさら砲口は空に向いてそうな気がします。
対艦だったら、山を掘って掩体壕のような構造だと思いますし・・・。
無論、海峡に侵入する敵艦迎撃の可能性もあります。視界が開けていない、ということは、逆に海からも隠蔽されて撃ちにくい陣地ともいえるわけですし。
でも、それならやっぱり山腹掘って掩体壕造るはずですし・・・。
考えてみると、そもそも敵艦と打ち合いする可能性を考える場所だろうか?という疑問が。
ここ(大里)に部隊を敵前上陸させる国はないでしょう。
そうなると、ここは九州から本州、或いは本州から九州へ侵攻する地上部隊の通り道、ということで、砲を据えるとしたら、対艦ではなく麓の道路を狙う、というのが自然です。しかし貧乏一等国の大日本帝国が固定陣地の要塞をそんな目的であえてここに造っていたというのは不自然だと思います。
と、いうことで、私の推理は対空陣地説です。
どんなものでしょうか?
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コメント
私も位置的に高射砲陣地ではないか?と思いましたが、
恥ずかしながら“砲台”という名称に“高射砲陣地”が含まれるのか、
或いは別個に扱った方が良いのか、ハッキリ理解しておりません。
勿論、高射砲陣地が明治の砲台に存在するはずも無く、
太平洋戦争勃発時、或いはその戦時中に造られたものとは理解しております。
魚住様と違い、東京で生まれ人生の大半を向こうで過ごした私にとって、
これらの軍事施設は大変珍しく、北九州へやってきてから関心を持ち始め、あちこちを歩き回っている次第で、
それ故、無知な部分も多数あるかと存じますので、今後もご指摘賜ればと思っております。
ところで、これら軍事施設に詳しい魚住様にご質問があります。
私のこのブログの記事の中に挙げている“陸軍”の石標はいつの時代のものでしょうか?
他の場所でも見かけるのですが、明治期のものか昭和期のものか、判然といたしませんので、
ご教示いただければ幸いです。
投稿 あつ | 2006年11月29日 (水) 00時37分
トラバ、ありがとうございます。
今関門海峡に残っている明治期に造られた砲台群は、元々は清国北洋艦隊が関門海峡を通り抜け、瀬戸内海から紀伊半島をまわり東京湾へ侵攻することを想定して計画されたものらしいです。北洋艦隊は最新鋭の戦艦を備えており、艦隊=国力と考えられていた当時では、今でいうと核ミサイル級の脅威だったようです。ただ、青葉台のあの場所では、どうしても死角が大きすぎると思うし、大里の町を一望できる位置から考えると、あったとすれば高射砲もしくは機銃を設置した陣地の可能性の方が高いように私も思います。存在したにしろ、しなかったにしろ、ウラをとらないとなぁと思っています。
投稿 seamoon | 2006年11月29日 (水) 00時52分
ブログを読み見る限り、どうも明治期に作られた煉瓦造り砲台+堡塁群とは一線を画していると感じました。どちらかと言えば、高射砲陣地の造りですよね。
高射砲陣地跡は私にとって専門外のため、戦跡考古学の方にコメントを頂きたいところですが、この時期の資料は殆どなく、これも厳しいでしょうね。
>青葉台公園の上の横穴は銅山
「門司鉱山」については、九州大学理学部地球惑星科学科の3年次にここに研修を行う事があるようです。後輩がザクロ石を持ち帰ったとほくほく顔で報告してくれました。
明治期には磁鉄鉱が採掘され、昭和30年代まで種々鉱石の採掘が断続的に行っていたとのこと。
『北九州の近代化遺産』には、一次リストにこっそり入れておきました。
投稿 庵田 | 2006年11月29日 (水) 02時44分