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2007年2月 7日 (水)

「日本沈没」見たけど

昨年封切られた草薙&柴崎版の日本沈没をこの間見たのですが、あれはどうも原作とも前作とも別の映画ですね。

渡老人と福原先生という私の好きなキャラは両方とも出てこないし。

齢百を越えた政界の黒幕の渡老人と、老人から手紙で事態を打ち明けられて沈没後の離散した日本人の将来像についてD2計画大綱として纏めてこと切れる福原先生と、あの二人が象徴していのは、ノーブレスオブリージュ(noblesse oblige 優越者の義務意識)だと思うのですが、今回の登場人物には、それを象徴するキャラって、いないですね。

奇矯な学者田所博士の奇矯な説を信頼し、政治家を動かし私財の絵画も売ってD計画を実現させる渡老人にも、頼まれたから不眠不休で将来像を考えてそれだけ形に残して死ぬ福原博士も、そんなことしなければならない義務は誰からも負っていないわけで、人より早く事態を知ったら、さっさと逃げればよい人なのですが、二人ともその真逆に生きてある意味「ありがたいけど組織論的にはよけいなお世話」を生きて滅びゆく国土に殉ずる。

渡老人なんか、自分は本当は日本人じゃないんだよ、と日本に対する熱烈な思いを告白した田所博士にそういい残して死んじゃうし。
なんでそんな行動を取るの?というその答えはその人のキャラにしか求められないわけです。

そういうキャラって、あの平成版日本沈没には出てこないでしょ?
ああいう事態で政治家や官僚が国民の救援とその後に懸命になるのは、これは当たり前。それを期待して綺羅を飾らせているわけですから、職業倫理にすぎない。でも、その中でも、「(一般日本人は)沢山死ぬから難民問題はそんなに心配いらない」と小ざかしいことを言い出す手合いも出す設定というのはどうなんだろう。
まぁ、「出世したいというむき出しの権力欲」に身をゆだねて綺羅を飾る「立身出世」の政治家や官吏などしょせんこんなもの、ということなんでしょうし、それが「あぁ、本当にいそうだし、このくらいのこと言い出すだろうな」と思ってしまうリアルさをもつ、ということに時代の意識の差を感じます。
そういうエリート層と対比されるもんじゃ屋夫婦たちに代表される"庶民"の描き方は、これはもう紋切り型のタフさ。なんだかなぁ、です。原作に出てきた、終戦直後の食糧難時代を思い出し、「またあんな思いをするのか、わが子にさせるのか」と苦しむ一市民の無力な父親も、この映画には出てこないです。出てきても、リアリティがないのでしょう。

最後は、草薙君演じる小野寺君が片道特攻することで沈没を止める、というこのラストはどうなんでしょ。悲劇とは、いかんともしがたい事態をいかに雄雄しく受け入れるか、というものであり、ここまでされたらもう完全に違う物語ですね。

それに、いかにエリートとはいえ、所詮は潜水艇運転手にそういう仕事をさせる、というのはあまりに寒々しい。かつて飛行機乗りに爆弾抱かせて飛び込ませつづけた昔のこの国の姿そのまま。
渡老人にリアリティを感じなくなったくせに、こういうところは進歩してないです。

あまり見た後に後味のよい映画ではなかったです。

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