オリンピックの「聖火」が通りを通ったら
オリンピックの聖火って目の前を通ったら、
やっぱり直立不動で右手をやや斜めに上げて見送らないと血に染まったような国旗にぐるぐる巻きにされてどこかに連れて行かれるのでしょうか?
大体、あれって由来なんなの?
もしかして、劣等に穢された地を選ばれた華たる者が浄化する「聖絶」の象徴?
まぁ近代オリンピックなんて、自称偉大な国家にスポーツマフィアが擦り寄って開催する偉大な民族を称えながらのお祭り興行だもんなぁ。
あんないまわしい炎が九州を襲わなくてよかったです。
フリー百科事典「ウィキペディア」の聖絶の解説はこちら
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E7%B5%B6
新マシンの設定が上手くいかず、ちょっとイライラ
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コメント
昭和39年夏、トーチカ(そう言っていた記憶がある)を掲げた走者を沿道をうずめた人々が大きな拍手で迎えた。
私が中学2年生のとき開催された東京オリンピックの聖火リレーです。
子供ながらに、日本もやっとオリンピックができるようになったと喜んでいました。多分、今の中国の人々も同じ思いではないかと思います。ことの善悪は別なんです。
投稿 こぶとり | 2008年4月22日 (火) 21時41分
こぶとり さま
日本という国は、オリンピックの「神話」を無邪気に信じて無邪気に喜べる状態でこのお祭り騒ぎを楽しみました。
それは、得がたい幸運だったと思います。
もし、昭和19年だか20年だかに東京オリンピックが開催されたら、果たして今我々がもっているオリンピックに対するある種の聖なるイメージなどもてたでしょうか?
多分ないでしょう。
私は、東京オリンピックに感じた無邪気さなどまったく今の世界には感じられません。感じるのはあの「民族の祭典」という近代オリンピックの暗黒面のみです。
今、喜べばそれは将来ぬぐいがたい悔恨にしかならないのではないか、と危惧します。
もっとも、欧米人のアンチ活動にも、黄色蔑視がうっすらと感じられて同調する気にはなりませんが。
投稿 KU | 2008年4月22日 (火) 23時00分