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2008年7月20日 (日)

教員採用不正をなくすには

教員免許制度の廃止と個々の学校の民営化を進めれば、誰を雇って子供に教えさせるかは純粋に個々の学校の経営上の判断となるのでは。馬鹿な人の雇い方をしたら、親が呆れて子供が集まらんようになるだけでは。

公平を担保する仕組みとして、紙の上で点数をはじき出して採点する学力試験の精密な仕組みを作ることに血道をあげている様子に、何か違和感を感じます。それってまるで科挙みたいだけど、科挙で選び出された官吏は科挙に最適化した価値基準でしか人間と社会を見ることができなくなるわけで、それがつまりは社会と人間を窒息させて中国四千年の体たらくを生み出したわけですから。

大体、免許制度採っているのなら、採用試験で改めて学力試験なんて屋上屋を架す無駄な話だと思う。ましてその実施を委託するなんて、分けのわからん資格屋試験屋を産業育成してどうするつもりやら。

どだい人と情報が自由に動けない縛りとそれを管理する権力の場所を作って、そこに不正を存在させない仕組みをつくるなんてことが可能だと思うことがそもそも傲慢ではないか、とかテレビのニュース見ながら思った私はやはり奇矯なことをいう変なやつかな。

まぁ、大分のことについては、弁護する気はさらさらないし、教員採用にかぎらず、地域社会全体にどうせ村社会的陰湿な話が山とありそうな悪寒がするので、強制的な換気はよいことだと思いますけど。

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