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2008年9月12日 (金)

碌に何もしない日。「ランディ・パウシュの最後の授業」を見たくらい

門司港の魚住です。

休暇で一日家にいました。
碌に何もしない、一日でした。

「ランディ・パウシュの最後の授業」をちまちまとした作業をしながら聴いたくらい。
英語わからんから、字幕見ないと意味ないのだが、画面は作業スペースだし、目線もそうそう注げないから、聴くだけでした。
また今度ゆっくり見せて貰おう、っと。

「ランディ・パウシュの最後の授業」
http://jp.youtube.com/watch?v=nrFMRuB2lbA

ところで、先日のことですが、最近は学校で課題・宿題が成り立たなくなっている、という嘆きを聞きました。
大学でレポートがコピペの嵐、というのは聞いた事があったのですが、高校や中学・小学校ですらそうらしい、と。
なんでも、読書感想文などはネット上に例文を沢山置いている「親切な」サイトがあり、みんなそれを印刷して何食わぬ顔で提出する、という惨状らしいのです。

いかんことですが、「いかん」「許さん」といっても止まらないのでしょうね。
結局、先生が教壇から言う事を学生は静かに聞く、後で提出する記述物で確認する、という授業スタイルでは対応できないのではないか、という気がします。

たとえば、学生に課題を出し、質問を投げることで即席の回答を引き出し、それを他の生徒に投げて意見を言わせて、さらにそれに意見を加えたり否定してみせたりして、別の回答をまた引き出す、そのやり取りの上でレポートを書かせる。というスタイルなら、「お前、授業のやり取りと全然違うやないか、意見を変更したなら、その筋道と理由を書け」という形で指導もできるのだろう、と思いますし、例文サイトや参考書の丸写ししようにも、「そんなやり取りしてねぇぞ、何聴いてた」という追求ができるのでしょう。
こういうスタイル、先生は大変でしょうけど。

上のスタイルは別に私が考えたのではなくて、たまたま今読んでいる本で出ていたウエストポイントの米軍士官教育のスタイルがそういう問答形式なのだそうです。加えて、重要な課題の場合や余裕のあるときは、この問答のの答えの実現可能性を確かめるために野外で実際に演習を行ったりするとのこと。
結局、ネットは米国人が自分たちに便利なように、と組み立ててきたわけですから、彼らにとっては都合が悪くないようにできているのですね。
それに、問答こそ、ギリシャ以来の探求の基礎だ、と言われたらそれだけの話ですけど。

今日は夕日も撮れない曇り空ですから、これは五月にとったものです。
また「北九州な夕日」の撮影を再開しないとなぁ・・・。

20080912dsc00177

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