読んでなるほど、と思うblogを見つけましたので、紹介します。ぜひ一読されてください。
すずめ日記 足利事件:驚愕の経緯
http://suzume6.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-34fd.html
----------------------------------------------------------------------------------
私が見たのは、
まず、菅谷さんが女の子をパチンコ屋さんで誘って、河川敷まで連れて行くという
菅谷さんの言葉だ。
私はバイクで通ってたんですよ。
女の子がパチンコ屋さんにいて、
「乗るか?」と聞くと、うんと言うので
河川敷っていうのは、。。ってなってるんですよ。。。
(できるだけ記憶に沿って書いているが、間違いはあるかも)
一瞬、すずめは耳を疑った。
?
この人、女の子を連れ出してるじゃん。
すると、隣の弁護士さんが、
「これ、本人がやってるわけじゃないんです。でも、本人はこういう風に裁判でも言うんです。」
要するに...上の本人の言葉は、警察検察で、何度も何度も言わされつづけ、本人の頭の中にプリントされてしまった「空想」なのだった。それをあたかも,実際に本人が行ったかのような言葉で話している。なるほど、分かる。
連日の取り調べが、このように人の精神を歪めてしまったのだ。
歪められた跡が分かる気がするのは、本人の説明が、言葉はたどたどしくても、時系列にそってきちんと記述され、それを一生懸命語る表情。確かにそこには違和感があった。
これを裁判でも本人は供述した。
れが、検察によって行われた洗脳の結果なのか、本当の本人の言葉なのか、その差を裁判官が見きわめるのは難しい。
そればかりではなかった。
本人が「やった」というのは、弁護士さえ、事実として認識してしまっていた。
だから、裁判で主張したのは、本人の無実ではなく、「量刑としての情状酌量」
弁護士さえ、やっていたことを前提の弁護。
その上、この供述。
裁判の争点は量刑にしかなくなるのは、当然に見える。
しかし。。。
本人は警察に対しては自白していたが、家族には手紙を書いていて、それには無実と書いていた。
が、それを弁護士は知らない。
何回目かの公判で初めて、
「私はやっていない」と菅谷さんは翻す。
これには弁護士もびっくりだった。
否認を貫くなら辞任するという弁護士
しかたなく、再び、菅谷さんは「自分がやった」と証言を覆す。
------------------------------------------------------------------------------------------------------
思うに、日本人には、未知なるものとは「対話しなければ分からない」という意識そのものが欠落しているのでしょうね。だから、洗脳になるし、裁判では自白を続け家族には無罪を訴えていた、なんてオーウェルの「1984年」の二重思考そのものでしょう。
なんと救いの無い凄惨な社会なのか、と暗澹としてしまいます。
取り調べを始めるに当たって、予め事件の概略・経緯を推理するのは、これは当然だと思うのですが、それはあくまでも「仮説」にすぎない筈です。
ところが、いつまでも出て来ない犯人探しの闇の中、いつの間にか自分たちの推理して抱いている物語=事実以外の何者でもなくなって、それに丸っと従順なら正しく、それに対して意義を唱えるのはもちろん、客観的に異同を検証することすら、その物語を紡いだ自分に対する侮辱にすり替わる、というメカニズムもあるような気がします。
刑事裁判のように、一方が権威をもって、その権威を背景にあくまでも相手は劣っているし社会全体の敵である悪、という立場を押し出すと、両者と等距離にある筈の第三者は、段々と異議を唱えること自体が社会全体に対する冒涜のようでもあり、「ここおかしかないか?」と思ったとしても、「きっとこうに違いないから(この犯罪者が犯した罪の)全体の構図は間違っていないに違いない」という脳内補完をして沈黙あるいは積極的に責める側に立って自身の過失を償おうとしてしまう、というメカニズムがあるような気がましす。
これが、山本七平氏の言われていた「空気の支配」というものでしょうね。
私の尊敬する政治家に三木武吉という先生がいますが、この人の言葉に、
「誠心誠意、嘘をつけ。そしたらそれは本当になる」
と、いうのがあったと思います。
実は同じことをナチスの宣伝大臣かのゲッべルスが言っています。
(と、いうより、ゲッベルスから学んだのかもしれません・・・。)
ゲッベルスは、ご存知の通り社会を洗脳した人、三木武吉は、無位無官(この人は党人として私的結社である政党の役職はしたが、ついに一度も何の大臣にもならなかった)の一政治家。
でも、政治に置いては、「事実」は「空気」であり、本当の事実を探求するのではなく、空気を支配することが肝心、ということを知っていた、ということでしょう。
政治は、やはり呪術の一つなのかもしれません。
(もっとも、「支配してじゃぁ何をするのか」が政治のもう一つの眼目で、このことで両者は全く一致していません)
一昨日、失礼かもしれませんが、「鳩山邦夫大臣はピック病では?」と書いたのですが、この人は「分かってやっている=祖父の盟友を参考に呪術をしかけている」のか、それとも、「病気が導いた正義の信念が燃焼している」のか、已然私には判然としません。
もし後者(病気)だったら、これはまぁ世にも稀なる漫画です。
麻生さんは漫画好きだそうですが、これほどのストーリーには多分出会ったことがないでしょう。
そう思えば、そうだったとしてもラッキーだと思うべきかもしれません。
実は、正直なところできればそうであってほしいな、と思っています。
もし前者だとしたら・・・、なんかこの社会はオチがつかない以前に、汚さに救いがない気がしません?
一国の大臣が、正面きって自身の理想と希望を訴えることなく、社会洗脳システムを利用して、自分の求める状況を作ろうなんて。
最近のコメント