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2009年6月13日 (土)

ハドリアヌスと宇垣軍縮と 政治の難しさ

政治の難しさは、成果を得る人と労を負担する人が一致することはまれだ、ということだと思います。それは、同時代でもそうですし、世代間でもそうでしょう。

今、長らく中断していた「ローマ人の物語」をせっせと読んでいるのですが、ようやく五賢帝の時代、ローマによる地中海世界から欧州大半の支配が盤石であった黄金時代を読んでいます。
で、知らなかったのですが、五賢帝の一人、ハドリアヌスという人は、同時代には人気のない皇帝で、死んだ時は危うく功績全否定・統治者としての名前抹消をされかけたそうです。
「やっと死んだか、勘違い野郎。おまえなんか褒めてやんねえ。神君として祀ってもやんねぇで忘れてやる。おまえの作った石碑とか全部壊したるわ」という感じかな。

理由は、結局まとめれば、国境視察ばかりしてローマに居ないから。
いわゆる「パンとサーカス」と言われる楽しみを市民に与えて、一緒に世を楽しんでいる、というこれみよがしのパフォーマンスが無かったのが、世界の首都ローマの市民たちの誇りをいたく傷つけたみたいなのです。

義息となった次代皇帝のアントニヌスが即位に際して「そればかりは勘弁してください」と泣かんばかりに乞うたから、「まぁあんたに免じて許してやろう」と元老院は態度を軟化。で、「あんな親父のために。あんたいい奴だな。」と、「慈悲深いアントニヌス」という意味の「アントニヌス・ピウス」が彼の名になったという・・・。
で、このピウスの時代、ローマは四海浪静かで、何事も無く、素晴らしい平穏な日々を謳歌して、庭いじりの大好きでローマ市民の傍を離れない良き皇帝として、この人は生涯帝国の人々に敬愛されたそうです。

でもね、
この人の統治の良さは、実はこの人個人の力量によるのではなくて、基本的に生涯かけて辺境視察をつづけ、現場で身を挺して体制の整備(リストラ)を続けたために嫌われてしまったハドリアヌスの努力の上に成立していたのです。

で、もう一つの宇垣軍縮の話。
宇垣一成は、大正の末に四個師団の削減という大軍縮を実施した人。
当時の日本は21個師団ですから、1/5の師団が無くなったわけです。師団が無くなれば、当然当てはめるポストがなくなるわけで、結果は将官という職業軍人の大量首切りになる。
職業軍人なんて、経験といっても特殊な訳で、そうそう潰しがきくわけではないでしょうから、世間に放り出されたことで、当然怨嗟の声が満ちたでしょう。

後年、混乱する時局の収拾にその手腕が期待されながら、陸軍が「現役武官制(陸海軍大臣は現役軍人が任命されるべきという"しきたり"-大日本国憲法にそんな規定はない-)」を楯に大臣を出さない、という抵抗をして総理となる機会が潰れたのは、この時の恨み骨髄だったから、という説があるという。
(しかたがないので、国民に大人気の近衛文麿を首相にしたが、結果彼が「口だけ野郎」として才能爆発させて、日本は対外的には言うこととやることが平気で真逆で悪怯れもしない全く信頼のおけない国となってしまい、あの悲惨な大戦への道を転がり落ちていく・・・)

宇垣軍縮は、「おらが街には師団がある」的な郷土の誇りを深く傷つけたし、ポストを減らされた役所としての軍部は大困惑と怒り心頭だったろうし、実際に職を失った旧軍人は塗炭の苦しみも味わったことだったでしょう。

でもね、
日本がまがいなりにも太平洋戦争を戦えたのは、実はこの宇垣軍縮で作ったお金で装備の近代化ができたからでした。
欧州を焼いた第一次大戦は戦争の様式を一変させ、当時の日本軍はすっかり旧式化した軍隊になっていたのです。
宇垣軍縮をしたから、戦車や高射砲、飛行機を軍備として取り入れ、その学校をたてて軍備の近代化ができたのです。それでも、太平洋戦争では米国に質でも劣っていたし、軍人の頭(センス)は近代戦に完全に対応できたものではなかった。
もしあれをしなくて、軍隊内の軍人の既得権を尊重していたら、太平洋戦争はもっと悲惨なことになっていたか、あるいは戦うこと自体が誰でもがあざ笑う絵空事だったかもしれません。
軍隊として、あの軍縮したのとしなかったのではどっちがよかったでしょうか?


政治の善し悪し・価値は、こういうことがあるから、ほんと軽々とはいえないし、大衆迎合で湧かせる「現代最適」なお手軽な答でよいわけでもない、と思います。

とか、なんか酒の勢いで怪しいこと書いてしまった・・・
元々は、"「足利事件:驚愕の経緯」から鳩山大臣の例の件のことをつらつらと考えた"に貰ったすずめさんのコメントに返信するつもりで書いたのですが、長くなったので、別エントリーにしました。

ところで、鳩山さん更迭されたそうですね。
そりゃ麻生さんも許認可権限を楯に社長の首は所管大臣がすげ替えてもいいんだ、みたいな話に承認与えるわけにはいかないでしょ。いくら自分が鉄砲玉に使ったのだとしても。
まぁあの元大臣は元大臣なりに、「活火山の上で昼寝をする思い」があったのかもしれませんけどねぇ。
これから、満州屯田でもする気かも。友愛を掲げて。
でも、率いているのが既得権の維持に血道を上げて、では、大東亜解放の悠久の大義に魁けん、という迫力は出ないと思うなぁ・・・。

えっ、友愛って、「八紘一宇」と意味なにか違うの?

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