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2009年8月 1日 (土)

昨日、ローマが滅亡しました。-「ローマ人の物語」読書日記-

「ローマ人の物語」、キリストの勝利の巻を読んでいます。
昨晩、キリスト教がローマの国教とされるところ、皇帝がローマの守護神とされたユピテル神を廃して犯罪者として追放、キリスト教を国教にするように元老院に迫ったあたり。
これが、キリスト教暦388年の出来事ということで、私は諸説あるローマ帝国滅亡認定で、この年をもってローマ滅亡という説を唱えたいです。

なぜって、これって「社稷を毀った」ということでしょ?
ローマの個々の家々で、その一家一門集まって祭儀を行うことが死罪をもって禁止され、国家としても建国以来の市民共通祭儀を行うことが死をもって禁止され、その祭壇を壊された以上は、だから建国の祖ロムルスに始まる伝説をもつローマという國は、ここでおしまい。
これ以降、ローマを名乗る国がしばし続きますが、それは別の国で、後ローマと呼ぶべきではないか、とか。

それにしても、この「キリストの勝利」の巻は、読んでて面白くないなぁ・・・。
シンマクスvsアンプロシウスの論争も、あまり面白いものではないし、勝ったアンプロシウスには、「あと何百年か長生きして、同じことをアッラーの徒の大守に言ってみたら」という後世の意地悪な感想をもってしまう私。あるいは、この人はその時は雄弁・敬虔なイスラムの使徒として裁く側に座っているかも。いるよね、そういう人・・・。という"聖人"様に対して、不謹慎きわまりない感想を抱いてしまう私・・・。

研究者の中でも、専制君主化したディオクレティアヌス以降はローマじゃない、と投げ出す人がいるし、そうまでしてローマ帝国は存続するべきだったのか、という意見すらあるそうですが、一風の涼として最後のヒーロー"ユリアヌス"がいなければ、私もなげだしたかも。
体調の悪い時期、読み続ける不快さと戦った読書体験でした。

注/ユリアヌスについて
誤解をされそうですが、私はこの人が「背教者」と罵られるから支持しているわけではなくて、幽閉者としての前半生、意地悪な内情での副帝への大抜擢、生まれて始めて戎衣をつけた若者がガリアを取り戻す奇跡の勝利を生み出し、短期間ながらよく内を治め、惚れ込んだ軍団兵たちによる皇帝推挙、皇帝として悪某逞しい東方家臣団による陰謀のただ中での疑惑の死、というドラマティクな半生を送った悲劇の若者だからです。
でも、こういう若者に、こういう治世しか許さなかったのがこの時代のローマなんですね。
やはり、「仁義なき戦い アレシア頂上決戦」とか、「仁義の墓場 エジプト征服」とか読んでいる頃の方がおもろかったな(って、どういう理解の仕方だ^^;)。

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