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2009年8月 5日 (水)

スティリコの生涯にふと東亜細亜史のあの人を思う 「ローマ人の物語」読書日誌

「ローマ人の物語」、ついに最終章の「ローマ世界の終焉」に突入。
"最後のローマ人"と作者の塩野七生さんが絶賛する、西ローマを支えた柱石スティリコが謀殺されたところです。

キリスト教歴395年、ローマ皇帝テオドシウス崩御。死に際して文武百官を集め、彼らの前で帝国を二人の幼い息子に残し、その後見として自身が戦塵の中から見つけ育てた将軍を指名、彼に幼い皇帝たちと帝国の命運を託した。
以来13年、愚昧な西ローマ皇帝ホノリウスを擁し、怒濤の如く押し寄せる蛮族の大波からよく帝国を守り続けたが、408年反逆罪・異端者の汚名を被り斬首、その功績は全て記録抹消された。

この人の章を読んでいて、ふと「そういえば、東アジアにも同じような立場となった人がいたなぁ」と思い出しました。
同じく、自分をその地位に引き上げた皇帝の死に際して息子を託され、よく内を治め、帝国の復興を旗印に外征すること三度。寝食を忘れ奮闘するも大望ついに叶わず旅陣に客死した蜀の宰相、諸葛亮孔明。
ただし、諸葛亮は反逆の嫌疑などに患わされることなく、終世宰相として職務に専念できたのだから幸せだったといえるかもしれません。

なぜ諸葛亮は最後まで下克上の疑いを抱かれることから免れたのだろう、宮廷権力争いとか洋の東西を問わずだし、むしろ専制しか知らない東アジアの方が陰湿な謀略の技術は磨かれているかもしれないのに・・・、と考えて、直ぐに、馬鹿馬鹿しい、この人にそんな疑惑、でっち上げても蜀の要人は誰も本気にしないわな、と思い返しました。

諸葛亮を三顧の礼で自身の軍営に迎え、蜀漢国を建国した劉備は、キリスト教暦221年、白帝城で失意の中で崩じるにあたり、駆けつけた諸官を前に宰相諸葛亮に後事を託した。
その託し方がもの凄い。
「君は必ず蜀を盛りたて漢の再統一を果たしてくれると信じている。わが子劉禅に素質があれば補佐してくれ。だがもし凡器だと思ったなら、君が取って代わってくれ」と。
言われた諸葛亮も、まさかそこまで明言するか、と驚いたことだろう。
この激烈な託し方に、感極まって血の涙を流して拝跪し劉禅への終世の忠誠を誓ったという。

この故事があればこそ、諸葛亮の足を引っ張ろうと謀反の危険を誰かが言い出したとしても、同時代の人々は笑って取り合わなかったことだろうし、碌でもない手合いのサロンになっていたらしい劉禅の後宮で何が耳元で囁かれたとしても、劉禅にとって宰相諸葛亮はアンタッチャブルな存在だったのかもしれません。(劉備は劉禅には「宰相を父と思え」と言い残した)

劉備という人は、そこまで読んでそんな遺言をしたのか?それともこれが無策の策というものなのか、私には分からないのですが、後事を託する宰相に鉄壁の保護を与えて死んだ、ということは言えると思います。
では、もしテオドシウスがスティリコに同じことを言い残したら、どうなっていただろう?とか想像してしまいます。

おそらく、「はい、じゃぁ私が玉座に座ります」とはならなかったでしょう。そうまで言ってもらって、臣下であると自己規定している人間がそんなこと言える訳がない。ましてかれは半蛮族ですから、三顧の礼で迎えられた諸葛亮よりも最初から立場はずっと弱い。
しかし、だからこそ、「とって代わってもいいぞ」と言われて「そんなことはしません。忠誠を尽くします」と宣誓した故事があれば、反逆の罪状で取り除くという陰謀はよほどの証拠でも捏造しない限り、人々を納得させられず成立しないのではないか、という気がします。
「あの人がそんなことをこそこそ謀る必要なんかないじゃないか。それはおかしいぞ」という声があがるのは火を見るより明らかです。
まして皇帝ホノリウス自身、死を賜う勅命にサインする時の重圧は半端なものではないでしょう。求められても逃げ出したかもしれません。


もっとも、スティリコがその後も存命で帝国宰相として活躍したからといって、その後のローマが昔日の栄光を取り戻すことはあり得なかったのですが、あるいは我が国でいう武家と朝廷のような位置関係をなんとか築こうとして、ある程度形にできたのかもしれない、という気はしないではないです。
もっとも、その朝廷の位置を狙ってその席を確保したキリスト教会という政治勢力があることを思えば、西洋世界ではローマ帝国という席はあの時代で無くなるのが運命だったのかもしれません。

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